くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

思いますわい。

自分の昔のテキストを眺めておりました。なんか元気で、情けなくて、そんで寒くて、思わず笑ってしまいました。まあ根本的に云ってることとか云いたいこと自体はあんまり今と大差ないと思っているんですけど、なんていうかテンションがすごいです。

 

「ハロー、28です!今日は生きることと死ぬことについて話しちゃうYO☆」とかだったらまだ救いようがあるんですが、もっとかっこつけてる感じなので気味が悪いです。かっこつけることがかっこ悪いとは思わないですけど。

 

というか1年前とかが特に顕著なんですけど、酔っぱらった勢いでテキスト書きすぎですね。「目から目が出た」とかどういう意味だよっていう。あの時はあの時で仕事がめちゃくちゃ忙しくて、その割にはジャズもかなり活動的で、酒飲んでなきゃやってられないですねえという状況が多かったという風景があるんですけど。

 

そんで絶対定期的に出てくる言葉は「僕はブログとか向いてないと思いました」ってやつときた。ええとまあある意味では、僕はブログはかなり向いている方だと思いますよ。「独り言」に関してのことは群を抜いて多いですし。ブログなんて独り言じゃないですか。今でこそ少しは見てくれている人がいるので、あんまりオナニーオナニー云ってもいられないんですけど、実際オナニーなんですから。とかそんなこと云ってたと思ったらすぐに精神論めいたものに戻る。ちょっと精神の方を安定させておいたほうがいいみたいですわ。

 

とにかく凄いんですよ。昔のテキスト。もう別の人間として見たら「見られたい」以外の何者でもないんですわ。それと相反して、昔は致命的に見られなかったわけです。でも見られたい割には見られて満足できるようなテキストを書いていないわけです。今と違って。今はなんだかんだで微量ながら見てくれてる人がいて、多少なりともモチベーションを得ているわけでもありますが、そのモチベーションはというと「もう好き放題書けない」という手錠でもあるわけです。もう僕は「目から目が出た」なんて意味不明なこと書けるとは思えません。それでも書くんですけど。

 

僕は昔から「やっぱり美しいものは存在しておりました」と「やっぱり美しいものはありませんでした」という言及を右往左往している。本当はどっちなのか。とにかくわかるのは、その間には美しいものはあると思っているんです。

 

んでそんなこと思いながら、一時期はひどくアル中になったわけですよ。病院行ったわけじゃないんでアル中だったのかどうか本当のところはわからないんですが、電車で3駅移動する度に缶ビール1本開けてたからたぶんアル中だったと思うわけです。だけど僕は自分の意志とは反してアルコールが嫌いでした。もうこの理屈っていうのはよくわかりません。

 

僕の日々のほとんどは詮無きことの繰り返しだったような気がします。だけどその詮無きことの繰り返しは、僕にこんなにくだらない感慨を思い起こさせてくれるんですよ。驚くことに。まあこういう感慨を与えてくれるのなら、これからも無駄になんか書きたいと思いますわい。

 

すごく他人にとってどうでもいいテキストになりました。