くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

もしかしたら、それは。

本当は喋るつもりなんてのもないんですけどね、何か話したいときに限って誰もいないことに気付いたんで、なんか書きに来たんです。どちらにせよ、僕の場合は誰か人がいたらいたで何も話せないと思うんで、こういう場所はかえって好都合であることに気が付いたんです。

 

仮に酒を飲んでああだのこうだの語ったところで、明日には忘れてしまうものですから。僕は僕の言葉も相手の言葉もほとんど忘れますよ。それは1週間前の雨の午後のように、それは1ヶ月前の夕食のように、それは当たり前のように。

 

僕は朝起きて、いきなり人生が変わるはずはないと思っているんです。朝起きたらいきなり顔が変わるわけでもないですし、奇跡的に病気が治るわけでもないですし、隣に可愛い女が寝ているということもありません。他の人のことはよくわかりませんが、少なくとも僕はそんな話を聞いたこともなければ、自ら実現したこともありません。

 

ならば、僕が駄目になっていることも、駄目になり始めた瞬間というか、そのスタートみたいなのがあると思っているんです。何を駄目と定義するのかは相変わらずわからないのですが、確かにどこかにそのスタートみたいなものが“あった”はずなんです。物事にはすべて始まりと終わりがあります。あるんだと思います。他の人のことはよくわかりませんが、とりあえず誰にでもそれはあるんだと思っています。

 

だから今日はその“スタート”みたいなところに戻れたとしたら、ということを少し考えていたのですが、まあそれは案の定考えるだけ不毛でした。なぜならば戻れることはないからです。それにもし戻れたとしたところで、前述のように僕の“何が駄目”なのかが良くわからないんです。でも漠然と自覚的に僕に駄目なところってやつは点在していて、それは様々なほうほうで僕の精神を痛みつけます。たとえばまともに仕事をしていないとか、たとえばまともに友達がいないとか、たとえば“本当は生きていないのかもしれない”ということとか。

 

じゃあ何か僕が生きている理由を証明してよって、誰かに云われた気がするんです。実際は誰にもそんなこと云われてないので、自分で勝手に決めただけです。それで様々な方法を考えてみました。

 

まず、僕は想像してみました。仮に駅前や商店街の中心で「僕が生きている理由について誰か聞いてください」というプラカードを掲げながら大声をあげてみたとしましょう。それで誰かが僕の話を聞いてくれるとはどうしても思えませんでした。同じことを想像してみてもらっても構いません。どうですか?あなたの話は聞いてもらえそうですか?“誰に?”

 

先に進むとして、じゃあ仮に話を聞いてもらえる相手がいたとして、その人に明確に生きている理由を証明できますか?僕は無理だと思いました。僕は“特別何の理由もなく”生きているんです。じゃあ逆算みたいに考えてみましょう。特別って何?じゃあその特別たるものがあれば、生きている理由が証明できるの?やっぱり僕は上手く言葉にできないでしょう。

 

酒を飲んだからというわけではないです。ただ、僕はここのところ、なんだか物凄く大きな核心みたいなものに近づいているような気がしてるんです。