くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

いち、に、さん、よん。

振り返ってみてもやる気がないことこの上ないのですが、物凄く久しぶりに日記たるものが書けているような気がします。こんなにやる気がないのに、ここ数日休まずにエントリを書き続けていられていることに感動です。暇だとも云えます。こんなクソみたいな毎日を送りながらよく生きてるもんです。僕が僕じゃない場合、僕のブログを見たら早く死んだほうがいいんじゃないかしらと思うことでしょう。

 

いやそれでも、こんなクソみたいな人生を送っている人間が僕だけだとも限りません。ほかに数人くらいこんなクソがいると思いたいところです。いてほしいです。そして後世にこんなクソみたいな人間がいたんだよってことを語り継いで欲しいものです。いや、やっぱり語り継がないでください。

 

さて。今日、某音楽教室でピアノを弾いたり、ギターでBOOWYのコピーとかして一人布袋とかやってたら、たまたま音楽教室の教師数人に誘われたので、もの凄く久々にメシに行ったのですが、これがなかなかどうして結構楽しかったのでせっかくなのでここに書いておきます。ついでになんだかいろいろと気がついたのでそれも書いておきます。

 

もはやここまで何処でなにをしても独りという生活を繰り広げていると、唯一癒される時間が傷の舐め合いをしている時でしかないという事実を認識しざるを得ません。これはいったいどういうことでしょう。つまり僕は話さえ適当に訊いてくれればそれだけで満足だったのです。ベストな解答を求めているわけでも、共感して欲しいわけでも、人生の指標を示して欲しいわけでも、説教をして欲しいわけでもなかったのです。ただ好き放題喋っていればよかったのです。つまり、電信柱や家のうさぎに話すのと何も変わらないのです。

 

今までの僕の人生を振り返ってみたところで、僕の人生に共存してくれる人もいなければ、共感してくれる人もいないということは明白です。つまり、僕がもし僕を相手にするとしたらできる限り関わりたくないと思うことでしょう。

 

家に帰ってから、この間好きになりかけたKちゃん(21歳・かわいい)の気持ちを考えてみたのですが、そのときはなにも自覚していないというか、まあ久々に若い女の子に優しくしてもらったので勝手に舞い上がって、もしかしたらいけるかもとテンションを勝手にあげていただけで、そもそも論、別にマイナス思考でも何でもなく、冷静に考えて、僕のことを好きになってくれる要素なんてどこにあるんだという話です。

 

そりゃもちろんこんなクズな部分も含めて自分のことを誇りに思えれば戦えるのかもしれませんが、実際問題がそうじゃないのでなかなかそう上手くはいきません。だからといって卑屈になったところで、ただでさえクズなのにクズさが倍増されてクソになるのでもうだめです。

 

そもそも何を期待してたのかよくわかんないですが、年収100万以下でそろそろ26歳で無駄に刺青が入っていて趣味はピアノとか映画鑑賞とかAV鑑賞とかブログでくだらないクソをぶちまけることで更にうさぎ飼ってるとか、もう誰に好かれるんだって話ですよ。僕が僕じゃなかったら僕を好きになるのか?答えは「NO」です。

 

だけどそれでも、人生やり直したところできっとまた同じことやりますし、今までの生き方を後悔しているかと云われると、案外そんなに後悔していないってところがこの件の大きなポイントです。そこで、今日の一件が原因というわけではないですが、ここ最近考えていたことの答えが出たような気がしました。

 

答え1「僕は自分で思っていたよりも人のこと好きじゃなかったし、自分で思っていたよりも人に好かれようとも思っていなかった」

答え2「そんな感じの僕ですが好きになってくれませんか?」

答え3「ちょっとそれってクソ過ぎませんか?」

 

冗談抜きでそろそろもうちょっとマシな人生送りたいです。

 

明日から3週間ほど遠方へ出向くので、これから荷造りをしなければなりません。めんどくせえです。せっかく遠方へ行くのでたまには写真撮って、無駄にたんぶらーとかちゃんと更新しようかと思っていたりいなかったりします。

 

そういえばちょうど今、itunesのシャッフル再生でDo As Infinityの真実の詩が流れ始めたのですが、この歌詞はこう云っています。「もっと今以上に裸になって生きてる術教えてよ」って。誰か僕にも裸になって生きてる術教えてくれませんか?できれば女の人(かわいい)がいいです。よろしくお願いします。