くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

響け。

こんにちは。僕が今借りているレンタルパソコンはあと1時間で返却しなければならないので、高速でなんか書きます。ちなみに書くべきことといえば全然ありません。なので適当に見繕って適当に思い付いたことを書きます。こういう風に書くとまるでいつもがちゃんと計画を立てて書いているに思えるかもしれませんが、僕のテキストはご存知の通り98%がその場のノリとアドリブでできているので、わざわざ上述のようなことを書いたのも、いつものことです。ここまでの無駄な文章でなんとか文字数稼げました。おしまい。

 

ちょっと待て、全然おしまいじゃねえ。このままじゃ思い付いたことすら書いてない。全然おしまいじゃねえので思い付いたことの続きを書きます。

 

出かける前に家のPCではてなに接続していたとき、なんか重いですねえと思ってました。重いのは回線ね。僕は重くないですよ。僕は171cm46kgという一見恵まれたようでまったく恵まれていない体型で、一見モデル体型に見えるホラーマンで、健康診断に行く度に「ちゃんと食べてくださいね」と云われ、毎回「ちゃんと食ってます」という返答をするという程度に軽いです。理由はお腹が非常に弱いことだと思います。ちなみに高校生くらいまではたぶん55kgくらいあったと思います。どうでもいいですが、その頃のほうが飛躍的にモテました。

 

話がズレた。んでそのPCの重さ、最初はブログのデザイン変えたのでその画像読み込みなどの影響かなとか、単純にはてなのサーバーがなんかの原因で重いのかなって思ってたんです。しかしこうしてレンタルPCでいじってみるにすごく快適に動くので、家にPCのどっかの部分がイカれたことは明白です。明白なのにあと2週間ちょいは家に帰れないので、なんか無性に気になってしまいます。

 

少しまた話は飛びますが、うちのじいちゃんがまだPCがそこまで流行っていない時代に株やってて、株の値動きが気になりすぎて旅行中に家に帰ってしまうという人だったのですよ。これがすごくて、家から車で2時間くらいの場所にいようと、家から飛行機で14時間くらいの場所にいようとお構いなしに帰ってしまうので、わざわざ何十時間もかけて高い金払って旅行来たのに馬鹿じゃんって童心ながら思っていたわけですよ。でも今、そんなじいちゃんの気持ちが少しわかった気がしました。

 

僕にはお金がないので、一度帰ったらここまで戻ってくるために2日くらいティッシュ配ったり5日くらい子供にピアノ教えたりしなきゃならないので実際は現実的じゃないので帰らないですが、もし僕にすごくお金に余裕あったりしたら、今の心情的にきっと帰ってしまうでしょう。どうでもいいけど僕の給料安すぎないか。まあいいか。よくないか。

 

そんなわけで、どの辺までかわからないですが、僕も一応じいちゃんの血を継いでいますので、じいちゃんみたいになるのかもしれませんという話です。まあうちのじいちゃんは結構成功した商売人でそれなりにお金あったのでいいですけど、お金ないのにじいちゃんみたいになっちゃダメだとも思ってます。まあ旅行中でも株を心配しすぎて帰っちゃうくらい神経質だったので成功したのかもしんないですけどね。その辺はよくわかりませんね。

 

まあモノを持つということは失う可能性を持つということなので、失うことを恐れてストレス溜めるのなら、元から持たなければいいじゃんっていう話でもあるんですけど、そんな卑屈なことばかり云ってしまうと何も手に入らないのでそれはそれでどうかと思います。でも元から持たなければいいじゃんってわかっててもですよ、人はモノ持たないと思ってても、恋したり、欲しいもの手に入れようと頑張ったり、なんか知らないうちに持っちゃってたり、なんか知らないうちに結構重いもん勝手に背負ってたり、ってことがあるもんだと思うんです。例によって僕が“人は”っていうときはイコール“僕は”なんですけどね。それはいいです。基本的に人は主観でしかモノ見ませんから。で、まあ僕もある程度ご多分に漏れず、失うとわかっていながら恋とかしちゃうわけです。

 

失うことをわかっているからって手に入れないのは、それが自分にとってベストな判断であればいいのですが、手に入れないと失うときの気持ちを得ることは不可能ですし、失うことがすべてマイナスなのかというとそうでもないというのは確かです。失うことによってしか得られないものもあると思います。具体例は避けますが。要はあんま云いたくないですけど、人生は結果だけが大事ってわけじゃないです。あんまこれを云いたくない理由は結果が手に入らない人の言い訳に聞こえるからです。だからあくまで僕は結果“も”求めます。これは必然です。好きな女の子に告白してフラれることがベストって考える人はそんなにいません。どうせフラれるのわかってるならそもそも告白なんてしませんし、99%フラれると思っていた相手にフラれなかったことによってむかつく人はそんないないはずです。うれしいはずです。これでうれしくない人は逆にそれはそれで才能なので大事にしてほしいと思います。

 

失うものっていうのは決してモノだけじゃないと思います。金や物品などの目に見えるものを失うことは確かに痛手ですが、この辺は失う姿が直視できるので、その分マシだとも云えます。逆に見えるのでマシだとも云えない場合もあるでしょう。しかし見えるものは取り戻す方法もわりと明確にわかります。お金とか一番シンプルに云えば働くとかそういう方法があると思います。ほかにも方法たくさんありますが、云い出すとキリがないので云いません。物は売ってるものなら買えばいいです。買えないものなら作ったりすればいいかもしれません。

 

じゃあ目に見えないものを失うっていうのはどういう感情なのか。たとえば大事な恋人と別れるのは直視できるものでありますが、この時失うのは人という存在ではないです。死なない限り人そのものを失うことはないです。そのぶん失うものは感情です。たぶん感情は目に見えません。この感情は気付いたらいきなりなくなっていたりしますし、じわじわとなくなっていくことが実感できる場合もたぶんあります。どちらにしても感情に対しては期待値があります。金とか払えって云われて払ったらその時点でなくなりますが、感情はいくら「なくなる」と宣告されていても実際に消えるまで、もしくは消えていてもなお、期待します。「まだなくなっていない、まだ手に入る」こんな具合に。でも一度失った「見えないもの」を取り戻すことはほぼ不可能です。困難です。いきなり「子供のころのように無邪気になれ」とか云われても次の瞬間に100%無邪気になれる人はいないと思います。いるのかもしんないですけど、いたとしたらそれはそれで才能だと思うので例外です。

 

ここで僕が云いたいのは、見えないものほど大事にしなきゃならないってことです。これは一見するとすごいこと云ってるようですが、全然すごくないです。なぜならば方法がないからです。見えないものは自分自身が大事にしているかどうかわかりません。大事にしていたはずのものが勝手に粉々に壊れるというジレンマも発生します。大事にしすぎて壊すというパターンです。モノっていうのは大事にしてればあんま壊れません。頑丈なケースに入れて倉庫の隅に保管しておけば、大事な宝石は壊れません。でも感情はいくら頑丈な箱に入れて心の中にしまっても、気付いたら勝手に鍵が閉まってて取り出せないこととかあります。

 

僕はそういうことを、いろいろなことを考えましたし、いろいろと思案してきました。結果的に僕が“今のところ”気付いたことは、対象が大事にしているものを少しは考えなきゃならないってことです。自分だけが大事にしているものを大事にしようとして対象を壊しては何も意味がありません。そうすると自分の大事なものも勝手に、もしくは対象によって人工的に壊れます。

 

ただその形が違うだけで、みんな寂しいんです。他の人は僕と等価ではないですし、僕は他の人と等価ではないです。どうせ死ぬのだから、せっかくだから生きた意味を残したいんです。だからなんか恋人とか友達とか大事な人とかいる人は一緒に生きた意味を残そうと思ってくれているのだから、大事にしてあげてください。大事にするということは、壊す、壊れる、失う、失われる覚悟をするということでもあります。そういうのがめんどくさいなら枯れて死んでください。僕もその路が濃厚です。その場合、せめて自分だけは大事にしてあげてください。大事にするということは、壊す、壊れる、失う、失われる覚悟をするということでもあります。自分の力だけでなんとかする、中途半端な虚無主義を気取ることは、自分が壊れた瞬間にすべて壊れるのでリスクが高いとも云えると思います。僕は自分にそう云い聞かせておきます。

 

僕が現時点で生きているのは、手に入れることと失うことの“可能性の連続”に期待をしているだけに過ぎません。いつか愛する人のために何かを伝えるために、その“可能性”に。

 

よくじいちゃんの話からここまで来たな。思い付いたことをそのまま書くとただの精神論になって精神論と云えば延々と長くなるのでこの辺で。本当はいつものやる気ない「Awakening」というカテゴリのつもりだったんですが、今日はカテゴリ分けできそうなのでやる気があったとも云えます。明日になったら空気の抜けた自転車のタイヤとか死んだカービィみたいになってるかもしれませんがそうなったらなったで。とりあえず残ったレンタルPC時間で記事UPと無駄にストレス溜まってきてるのでサブブログの更新をしなければならないのでさようなら。

 

また会いましょう。