くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

やさしいかたつむりくん。

僕はつい最近までは「突き詰めれば優しさってものは説明できるはず」だと思っていたのですが、遂に説明できるときが来たようです。優しさって何ですかと訊かれたら、今の僕は迷いなく答えるでしょう。「優しさとは説明できるような代物ではない」ということを。人を思いやるだとかそういう意味不明なものではないということです。優しいだけじゃだめです。優しくないのもだめです。ですがそれらは説明できるようなものじゃないのだと思います。


世の中には僕より頭の良い人が無数にいますので、頭の良い人は説明できるのかもしれません。ですが、アインシュタインみたいな頭の良い人がそれを理解してくれたとしても僕に理解できるかはわかりません。仮に理解できたとして、すぐに僕に優しく穏やかな人生が訪れるかと云えばきっとそうではないですし、「優しく穏やかな人生が訪れるチャンスをあげる」と云われても僕はきっとすごい勢いで断ります。そんで断ってから後悔するはずです。でもそこまでわかっていても断ります。理由は僕の頭が悪いからです。


極論ですが、誰にも文句を云われないほど優しくなる方法は死ぬことです。なので、死ぬという選択ができない以上は誰かに迷惑をかけながら誰かの邪魔になりながら誰かに嫌われながらでも生きていかなくちゃなりません。


優しくありたいと思ったらたぶんだめです。だけど僕みたいな頭の悪い人でも説明はできないけど、その説明できないところの優しさみたいなもので戦っていきたいと思います。その種の優しさは誰かにとっては凶器になるし、きっとそれは逆も然りです。


傷つけたくないと思うのも優しさなのかもしれませんが、傷ついても構わないと思うことも優しさだと思います。どちらが美しいか醜いかは見る人によるのですが、僕も君もあの子もあいつもおまえも何の理由もなしにどうせいつか死ぬので、せっかくなので人を愛したいですし人に愛されたいと思います。そのために愛せない人や愛されない人ができてしまうというのは仕方ないと思います。


「優しさとは説明できるような代物ではない」これはきっとすなわち「説明できたらその代物は優しさではない」と変換することもできるのかもしれません。

 

たぶん、たぶんなのですが、幸せになりたいということと不幸になりたくないということはその形が違うし、好かれたいということと嫌いになってほしくないということもその形が違うと思ったんです。


きっと今日オナニーしたら明日にはスッキリ忘れると思いますので、忘れる前にメモ程度に書いておきました。これから僕の生死(精子)をかけた女への復讐(復習)が始まります。ご静聴ありがとうございましたどぴゅ。