くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

悲劇に対する感覚は、肉感に比例する。

「おはよう、ちゅ」という恐ろしいほど煩悩に溢れた夢を見て起床した。あまり悪い気分はしなかった。現実にそういうことがここんとこないから、っていうゲンキンな理由はさておき。いつからか僕は他人の哀しみや喜びを享受できないようになっているようなので、束の間でもそういう“人間めいた”時間が必要なんだ。ドリームガールに感謝。明日も出てきてくれるといいな。

 

それから後の時間は全てクソだった。頭の中のランキング表がめまぐるしく変わっていくのが直接的にわかるような不快感があった。

 

8月に進学先の試験がある。早ければ、9月に合格が決まる。そして僕は晴れてこれほどまでに忌み嫌っていた“学生”という肩書きになるんだろう。それがどんなことを意味するかはわからない。僕にとっても、他の人たちにとっても。

 

かつて恋人が目の前にいたとき。その“とき”は何度もあったけれど。お互いのどちらかが死ぬまで傍にいるもんだと思っていただろう。僕もそう思っていたことがある。きっと心の片隅ではそう思っていたし、次にもしそういう人が出来たとしたらまたそう思うんだろう。そしてそのうち、“君”はこう云う。「あなたのことはずっと好きだと思う 永遠に ずっと傍にいてほしい」と。お気に入りの嘘を、自分に言い聞かせるように。それで遠くない未来に“君”から「お前なんか死んでしまえ」と思われるようになって、それから「誰ですか?」と呼ばれるほどの存在になっていく。

 

7年前、5年前、4年前、2年前、今の僕が“君たち”の前に現れるとしたら。“今の僕”はなんて云うんだろうな。「どうせ終わるんだし、今は今で楽しもうぜ」と云うのかな。でもそんなことを僕が云うんだとしたら、そんな僕を僕は嫌いだな。それでも「あなたのことはずっと好きだと思う 永遠に ずっと傍にいてほしい」と云われるのかな。そうしたら僕は、“君”に感謝しなくちゃいけないよね。うん、僕にはわかってる。本当は“君たち”には心から感謝しなくちゃいけなかったんだよね。