くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

大学へ行きたい。

・なぜ今更なのか

「大学生なんてやりたいことのないやつがヒマ潰しに行っているだけに過ぎない」とある意味バカにしていた自分がなぜ今になって大学なのか。
まず1つは「自分の中で絶対にやっておきたいこと」というのが1つ出来たということ。
これは大きかった。
ある意味、今の仕事を続けていても良いのだとも思う。
30歳、40歳になればそれなりの立場に就けるのだろうし、専門職だからそこまで食いっぱぐれることはないだろう。
だけどこのまま年を重ねていくだけの生活がなんとなく窮屈に感じるようになってきたのだ。
17歳の途中から続けている仕事、かれこれ今年で6年目になろうとしている。
1年の経過がだんだんと重たくなってきたというのが大きなところだ。

・自分の生きたい道に正直になること

いわゆる「仕事」というものを約6年続けてきて思ったことなのだけど、大体「仕事」っていうのは疲れる。
やらなくて良いものなら、仕事なんかしなくて良いよね、という自分にとって、情熱を失ってしまうというのはとても苦しいことだと感じていた。
特別に「これが絶対にいやだ」と思っていることなどはない。
このままこれを繰り返していて自分がどうなれるのだろうか、と考えたときに、やっぱり何か足りないことに気付いたからなのかもしれない。
「自分が本当にやりたいことは何なのか」それを突き詰めたら確かにキリがない。
日々変動していくもので、日々新しい感情が生まれていく毎日の中で、絶対に譲れないもの。
それを見出すのにはある程度の歳月が確かに経ってしまった。

・いつ死んでしまうか、わからないから

終身雇用制も終わり、身近に震災や原発の問題が起こるにつれて、毎日「明日何が起こるかわからない」というこの世の中で、「せっかくできることをやらない」というのはどうなのだろう。
そう感じるようになっていたというのも確かにあるのだと思う。
やりたいことをやりたいだけやるというのが本来最も楽しいことのはずであって、何故自分でその可能性をなくしてしまうのかということだった。
我慢できる人が素晴らしいという美学に向いていないというのも確かにあったのかもしれない。
わざわざストレスを抱え込んでまで仕事を背負ったり、毎日をマイナスな考えで生きるのはどういうものなのかと思っていた。
とにかく、明日死んでしまうかもしれないのだったら、楽しいことだけを考えて生きていったほうが絶対に嬉しいはずなのだ。

・正解は「無い」

この道を決断して自分で進むということが正しいことなのか間違っているかなんて自分にはわからない。
どんな生き方をしていても、失敗や成功がある。
でもそんな「成功」や「失敗」も全てを含めて自分が判断することなんだろうと思う。
だからこそ、「今自分が思っていることを実際にやってみる」ってことが一番良いことなんじゃないかと思う。
それが良かったことか悪かったことかなんて未来の自分が決めるし、それを悔やんだ所で何も始まらない。
でもはじめて後悔することの方が、はじめなくてずっと引きずっているよりも遥かにマシなんじゃないかと思えるからだ。

・具体的なこと

志望とかその辺りは確かにあるといえばあるのだけど、まだ模索段階なので何も書かないでおこう。
いざ色々と決めた時に、ってことで。
ただ勉強自体にかなりのブランクがあるということは懸念材料だ。
今やっていることのスイッチを全てそっちに切り替えれば出来ないということはないだろう。
とにかくやるのは自分でしかないのだから、一度決めたことはしっかりとやり遂げたいと思う。
俺は疲れるんだろう。
でも、もし疲れたときにちゃんと振り返ることが出来るようにメモとしてここに残しておくことにしよう。

・今という時間は戻ってこない

自分に何かできるとしたらその時々を全力でぶつかっていかなくてはならない。
それがどんなに不可能なことだったとして可能性がゼロじゃない限りは信じて生きるしかないのだ。
その小さな可能性を追い続けることで心が駆け巡るのだとしたら自分はそうして生きよう。
世界にはいろいろなタイプの人間がいて、誰一人として同じ人はいないと思っている。
それを知りながらも他と同じように振舞うというのがやはり自分にはできない事だったということに過ぎないのだ。
俺は考えないといけない。
今までもこれからもずっと楽しく歩き続けなくてはいけないということを。

もっと書けることはあるのだけど、長くなるので今日はこのへんで。