くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

My Epitaph. #14

  • 3/16(Friday)

・仕事をしてきた。休日を返上して仕事に来るというのは、なんだか無性に気持ちいい。「本来は休みなのにきてやってるんだぞ」というような、無駄な光悦感に浸れるからだ。それで結局何が云いたいのかというと、気分が浮ついて仕事どころではなかったということです。

・早めに帰ってきた。明日は朝から君を迎えに行かなくてはならない。天気が悪いようで憂鬱だ。このままでは1週間中楽しみにしていた遊びの約束もキャンセルになる予感がする。それにしても金曜と土曜は毎週雨じゃないか。

・惰性の日々、狂った人形。僕は青春時代の殆どを友と一緒に過ごしたつもりだったが、その度に、より孤独になっていった。つまり人と長く一緒にいすぎたのかもしれない。“誰か”と一緒にいたことなど、なかったはずだが。父が云うには、精神障害というのは日常生活に支障を来すか来さないかの違いらしい。なるほど。おやすみなさい。

  • 3/17(Saturday)

・久々の休み。まずは珍しく本を買ってきた。どうにも自分から自分への刺激を与えられずにいるのがその行動の要因だった。もう最近は何をするにつけても行動理由を捏造しなければならなくなってきた。ここから、なんとしても這い上がるんだ。チッ、映画を借りてくるのを忘れたぜ…。

・最近の君はただひたすらに機嫌が悪い。静かなだけでそうとわかるその姿勢は如何なものか。「あなたは決して悪くない」なんて云うけれど、本当にそうかね。僕はその度に哀しみに浸される。ただどうすれば良いかわからないだけ。二人の未来が何処からどう見ても、誰が見ても、幸せであるようにするには、どうすれば良いかがわからないだけ。どうしよう、どうやってみよう。何か適切な方法はなかったかな。おやすみなさい。

  • 3/18(Sunday)

・此処のところ、誰に向けるべきものかわからない曲を創っている。ピアノ、一時期は確かに僕の生活を支えたものである。それでメシを食っていた頃は、心を侵食させながらも、ただひたすらに優しい曲を紡いでいた気がする。だが僕は、哀しみの歌を創りながら飢えて死んで行くほうが性に合っているとずっと思っていた。つまりはそういうことだ。僕と夢との間にはかなり大きい断絶が出来てしまった。もうたどり着けない場所に、それは在る。

・楽しみが伝染するのだとしたら、当然哀しみも伝染するということになるのだが、どちらも伝染しないということは何も感じられないということに等しい。何を見ても何をやっても無感動だというひとを見てきたけれど、彼らは“すべて満たされている”という、僕とは明らかに違う決定的なものがある。満たされてはいけない。自ら壊していかなくてはいけない。死に逝くものを切り捨てていかなくてはいけない。

・今に始まったことではないのだが、いろいろと真剣に考えている。心の隅には常に、もう書けなくなるかもしれないという不安がある。それは言い換えれば絶望。つまり、苦しくなってきた。

・これから仕事をしてきます。