くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

My Epitaph. #18

  • 3/29(Thursday)

・友達と野球を観に行ってから、仕事をしてきた。

・最近の僕は、記事を投下するとき以外は、ほとんどインターネットに繋がず、どこからも情報を収集せず、家に帰っても鍵盤に身を寄せるか、“秘蔵ノート”に何かを書き記しているか、小説を読んでいるか、没落するまで映画を観ているか、ふと気が向いたら音楽を聴きながらダラダラと散歩しているかのどれかだ。辛いものがなくなった。それが楽しいことなのかといえば、そうでもない。

・だんだんと自分勝手になってきてるのでタチが悪いです。人に何かを命令されるのはとてつもなく嫌ですが、何か云われてみたいという矛盾。放っておかれるというのと、相手にされないというのでは違いますが。自分勝手を粛正するのは自分でしかないのか。誰が僕の人生にケチつけるんですか。僕ですか。人間の死因のほとんどは自滅らしいじゃないですか。他の動物が、人の環境を汚染することはないですし。そうして、世界や社会に対する哀しみや諦めのクオリティが上がったところで―。

・いろいろと考えすぎました。おやすみなさい。

  • 3/30(Friday)

・またしても友達と野球を観に行ってから、仕事をしてきた。

・仕事中にある言葉を耳にして、僕は絶対に救われ得ないだろうということにまた気がついた。僕たちのしていることに正当性は全くない。だが、僕たちには信じる路がある。僕たちの人生に善悪はない。強く生きるということは、どれだけ人を裏切れるのかということでしかないのだろうか。どちらにしても考えるだけ、詮無きこと。僕たちの行く先は、夏は太陽に焦がされ、冬は雪原に埋もれるような路になるだろう。そんなことを考えていた。

・僕の周りには、傷つき、疲れている人で溢れているような気がした。その中で傷を舐め合おうとする人など存在しない。世間一般などは知らない。だが、そこには明らかに真っ当なものがあった。今日と明日は休みだ。

・起床してから特にすることもないので、5本連続で映画を観た。何を観たか覚えていないが、『ゴーン・ベイビー・ゴーン』は良い映画だった気がしないでもない。なんだ、素晴らしいじゃないか、インターネットや携帯電話なんて無くたって。明日はまた雨らしい。おやすみなさい。

  • 3/31(Saturday)

・休みだった。案の定、雨だった。雨男と雨女が一緒にいると本当にろくなことがない。

・様々ないきさつがあり、新国立劇場にバレエを見に行った。一言で云うと感動した。彼らや彼女らの背景には血の滲むような鍛錬があるのだ。僕は確実に彼らの中に一種の閃光をみた。それに比して僕はどうだろう。僕は火も灯らぬまま使い道のなくなる、湿った花火やタバコのようなものに似てるとは思わないかい。

・帰ってきて、ポケットの中から今あるだけのありったけの言葉を取り出して君とベッドに潜り込み、愛について語り合った。もしも僕がこれから様々なものと対峙し、そこで取捨が選択されようとするならば、やっぱり最終的には僕は僕を選択するだろうと思った。僕が語るそれは明らかに「I think, I Love you」であり、「I swear, I Love you」ではないのかな。と、そんなことばかり考えていたら知らずに眠ってしまい、起き上がったときには、僕は激怒されていた。すみませんでした。

・ひとりも、独りも、一人も違う。ただそれだけのこと。僕に「次」を見る価値はあるのか。おやすみなさい。

  • 4/1(Sunday)

・そもそもこんな春の清々しい天気の中、独り憂鬱を抱えるというのも中々難儀じゃなかろうか。楽しいのはいいことだよね。本当にそうかな?

・ある時期の希薄な出会いについて考える。僕が愛したものというのは、気付かないうちに形を変えたか無くなってしまったものがとても多いのだろう。振り返ると、聞いてくれそうな人はたくさんいて、一人もいないように思えた。そうでしょうね。人生はこれだね。今までも、これからも。

・色々なことを考えながら、ただの日記を書こうとして3時間頑張ってみたが、結果的に書けなかった。金がない。おやすみなさい。

・これから仕事をしてきます。