くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

まいもどるひげき。

どうでもいいことですが、今日は珍しく用事があったので出かけました。待ち合わせ時間ギリギリだったので急いでいたのですが、駅で電車を待っているときに、たぶん80歳くらいの杖をついた爺さんがいきなりふらついてぶっ倒れました。電車が来そうだったので、とっさに僕はイギリス紳士ばりの紳士っぷりを発揮して紳士らしく紳士に声をかけ、すぐに駅員を呼んで、駅員と一緒に爺さんを抱えて駅員室みたいなとこまで送り届けました。実に僕の紳士さとイケメンっぷりが露呈された瞬間でした。そして待ち合わせの時間に華麗に遅れ、華麗にこっぴどく叱られました。


なんか人生ってもの凄く不条理だと思います。別に爺さんを助けたことに関しては後悔はしていないのでいいのですが、僕が爺さんを助けたところで誰から褒められることもないですし、褒められる為にやったわけでもないです。むしろ待ち合わせに遅れたことで怒られたので、僕自身にしてみたらこの行動はマイナスだったのかもしれません。僕が爺さんを助けなくてもほかの人が助けたのかもしれません。だけど仮に爺さんを放置して電車に乗っていたとしたら、後々あの爺さんのことを考えてしまう羽目になると思うので、結果的にはこれが最良の判断だったと云わざるを得ないということも事実です。


僕は基本的には人はいつ死んだっていいと思ってます。だってあの爺さんもそうですし、僕もそうですし、ほかの人もそうですが、今日いきなり死んだところで誰も気にしないからです。気にするとしたら限られた周りの人々だけです。だけど僕はそう思っているからこそ、せめて目の前の死などはわりと真剣に向き合おうと思っているのです。なぜならば気にする人がほとんどいないこの世の中で、気になるということは逆に稀なことだからです。今日もたくさんの人が死んでますし、明日もたくさんの人が死にます。僕はきっとその中のただの1人のことも気にしません。だけど目の前で悲劇があるならば、それは気にしなければなりません。僕の幸せとほかの人の不幸せは交換ではないです。ですが、僕が不幸せになるとき、ほかの人が幸せになっているということも事実です。それでも手が届きそうなところには一応手を伸ばしてみようというか。


もしかしたらどっかの並行世界で僕がその爺さんに助けられるかもしれないので、死んだ後まで含めて期待しましょう。そして、助けた爺さんから金一封がでることを密かに待つだけです。合掌。