くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

My Epitaph. #17

  • 3/26(Monday)

・仕事をしてきた。頭の中がイライライライラしてると思いながらも、連休明けのそれを粛々とこなした。毎度のことだが、休みが続くと変な時間に寝たり起きたりして本当に困る。寝てないという事実よりもその自覚の方が本当に厄介なわけだが、誰にもその不機嫌は与えるべきではないね。僕だって他人の不幸をサルベーションするつもりもなければ、享受する気もないからね。結局全くやる気が出ずに来た意味がないくらい仕事が捗らないまま帰宅した。

・一言では表現できない、言葉や文字などでも説明できない、様々な哀歓に苛まれて久しぶりに涙を流した。色とりどりの僕の夢たちが目に浮かんでは消えていった。こんな時に独りで死ねたらとても幸せなのだろうということを考えていた。おやすみなさい。

  • 3/27(Tuesday)

・仕事をしてきた。クソみたいにヒマだった。もう働きたくない。

・目覚めると全く別の世界になっていた。哀しみが充満し始めて、目の前が明るくならない。実態は本の中のストーリーと映画のストーリーと友達のストーリーが色々な角度で、色々な形で、色々な痛みで、色々な喜びで、溢れてきたからだと思う。そうかつて、彼らには父がいて、母がいて、彼らも子供だったのだ。そして、僕も…。

・自分が作り上げてきたいくつかの方程式で解を求めてきたものがある。あくる日の僕は本当にギリギリだった。だが、崖っぷちでいつも奇跡は訪れるのである。本当に苦しくなった時こそ、何かを描ける。つまり…。僕が生き続けられるようにするためには、孤独が必要なのだ。僕は肺呼吸ではなく、えら呼吸なのだ。おやすみなさい。

  • 3/28(Wednesday)

・仕事をしてきた。もう働きたくない。

・ついこの間「考えないと文章を書けない」と書いたばかりなのだが、つまり僕は今までで、もう書きたい事はほとんど書いてしまったようにも思えた。正直、過去を回収することもほとんど完了してしまった気がする。もちろん日々の中にたまに置き忘れた何かを発見するようなロマンチックな時間はあるのだけど、それが毎日あるわけではないのだから。

・僕はかつて、酒を通してまどろみの中で自我を見つけた。何か書いていないと破滅してしまいそうなほどの孤独との蜜月も終わり、僕の日々は“普通”に流されつつある。描くべき事もないただの退屈な日常こそ、幸福だ。ただしっくりこない。本当にまったくしっくりこない。まあ良い、これが自然体だ。そう。自然体。その形やその在り処が変わってしまったということだろう。

・望もうとも望まなかろうとも、時間は経ってしまう。枯れた植物に今更水をやっても意味がないように、僕のことなどはとっくに忘れてしまったとしても。もはや哀しみがどうこうとか、孤独がどうことか、そういう次元の問題ではない。今はとにかく書けない。しばらく寝ようか。おやすみなさい。