くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

ふゆのひ。

あけましておめでとうございます。今年も無駄に当ブログをよろしくおねがいします。

 

さて。

この間、数少ない友人であり元同居人であるY氏と、釣りに行く話をしており、その道具を買いに地元のあたりで彼を拾って釣り具屋に向かっていました。


僕の昔住んでいた場所(埼玉県T市)にとある有名なラブホテルがあります。そこはたびたびテレビでも紹介されていたりするのです。確かにすごい田舎に煌々と輝くそのホテルは、その道を通れば誰もが注目することでしょう。


Y氏にはその昔、Y香という彼女がいました。
その子はY氏と僕と同居を始めてすぐくらいに付き合い始めた彼女で、よく家に遊びにきていたので僕もよく知ってました。
そいつは俗にいうビッチというやつで、まあそこそこかわいいのもあってか、育ちの影響もあってか非常にモテて、Y氏と約2年ほどつき合っている間にも数々の男をたぶらかしていたというウワサです。
Y氏は根がスゴくカタい人間で、そういう節操がないことにうるさい人だったので、そのたびに喧嘩していたのを覚えています。人んちで深夜に(彼の家でもあったが)


そのラブホテルを通り過ぎたとき、助手席のY氏はおもむろに話を始めました。
「おれ、前にここでY香と一緒にめちゃすんごいプレーをしたことがあるぜ。あんときはあいつが…」などと誰も得しないようなすごく下品な話をし始めたのであります。
下品なのはわりといつものことであるのでまあ良いとして、その話の最後に彼が呟いたのです。
「まああんま覚えてないんだけどね」


その日はいつも通りバカみたいな話をしてバカみたいに解散したのですが、今日朝5時に真っ暗な中、高速道路へ行く道を走っていたときに感じてしまったことがありました。


実は僕もいろんなことを「あんま覚えていない」のです。


文字で書けばなんのアレもない「忘れる」ことや「悲しみ」のことや「覚えていない」ことが、“こうなる”のか。
悲しいや切ないって感情は、そのときに現れるのではなくて、“こういうとき”に現れるのか、と感じたんです。
そう、僕らはそういうことを、ちょっとずつ忘れていくんだなと思いました。なんだかちょっとずつ消えていくその感情や想いに対して、ほんとうに心細くなったのです。


なんとなしに「悲しい」ということや「切ない」という感情をはじめて知ったような気がした或る冬の日でした。