くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

電話。

会社での飲み会にて―

電話は好きですか?嫌いですか?って訊かれたので、なんともいえないって答えた。うーん、なんか電話って何のツールですか、って話になったんだよね。数年前にウィルコムが電話定額制になって、その後ソフトバンクが電話し放題になったりしたのは別に最近の話じゃないけど。
ってかそんなに話すことってあるんですかね?って結構昔から不思議に思ってた。
例えば俺が電話で友達なんかと話をするときは、「あーおまいさん、今週の土曜日空いてる?」「あー空いてねぇ」「まじかー、じゃあまた今度誘うわー、じゃあまたね」通話時間13秒。こんなんが、1ヶ月に3回あるかないか。
メールなんて酷いもので、「今日空いてる?」「無理」終了。こんなんが、1ヶ月に5回あるかないか。
そういえば昔長いこと付き合ってた女性から電話がかかってきた時に、用がねーなら電話とかすんなよ的なことを言ったことがある。声が聞きたかったからが理由だったらしいけれど、俺からしてみたら電話に1時間も2時間もかかるなら会えば良くね?みたいな感じだった。それに対して俺は悪気と言うか、別に全くキレてたわけじゃないんだけど、あんたって冷たい人ねって言われた、悲しかった。他の男性方はこういうのにどう反応してんのか気になった。で、俺はこんなんが普通だろー(電話は用事を簡潔に伝えるためのツール)だと思ってたんだけど、そう考えたら電話し放題とかまじ意味不明だから訊いてみた。で、意外と男でも「仲いいヤツと電話したら普通に30分くらいいかね?」ってな回答が8割くらい返ってきて驚いた。マジすか?そんなに話すことあるんすか?さすがに俺もそこまでバカじゃないので、「用事を簡潔に伝えるためのツール」として彼らが電話を利用しているわけではないことに気付いたと同時にすげーシンプルなことに気付いた。
んーと、結論からすると単純に得意・不得意の問題だと思った。

最終的にその話は、「お前そりゃ電話とかで話す前から長くなるかも、だったら会って話すほうがいいかもとか思ってる時点でおかしくね?」って言われて片付いた。彼らは、どっちかって言うと楽しくて話してたら1時間も2時間経ってしまってたってことらしい。だから、そんな長い話になるなら会って話そうぜ、っていう考えが頭っからないんだと。
で、俺はそのことをわざわざ文章にしてる。確かに、逆に彼らからしてみたらこーやって時間をかけて、今日あったこと、感じたこと、考えてること、をわざわざ長々と書くことの方が意味不明らしい。誰かに話せばすまね?って感じなんだろう。ところが俺はこんなことをだらだらと書いている内に知らずに1 時間も2時間経ってしまってたってことがよくある。
で、基本的にどっちが多いか少ないかでどっちが変なのかって事になるんだと。そう考えると、明らかに文章にする人の方が少ない(気軽なツールではない)ので俺の方が変ということになる。考えればそりゃそうだ。話せないのは大きな社会的欠落だが、書かないのは別に大きな欠落じゃないわけだし。
これは多分俺が相手の表情を見ながら会話をしないとなんとなく自分の中で成立してないっていう考えからの苦手意識なんだと思う。そりゃあ友達とかに限らずさ、相手が果たして迷惑なのか、それとも嬉しがってるのか、とか表情見なきゃわからないじゃないですか?それに電話ってのは芽生えた感情の行き着く先がない。例えばメールとかだったらリアルタイムじゃないし返事しないとかそういう手段で何となくわかるから、こっちのほうが気軽。でも電話ならリアルタイムに何かしら反応しなきゃいけないわけで。
いきなり誰かから電話を受けて、要件以外の話をされると非常に困ってしまう。実は親しい人でも割と困る。x時に電話するわーって予め話しておいてくれると、話す事を考える時間が出来るので割と楽なんだが…。でも世の中俺を中心には回らないので、いきなりかかってきたりする。そうするとわけわからなくなる。会話が続かず戸惑ってる=嫌がってるに捉えるのが大半だと思うから(電話越しだと)、長く会話が続かず、終了。通話時間30秒。で次からかかってこない。
いや、でも直接目を見て話すのは割と苦手じゃない。だからいわゆる対人恐怖症とかそういうモンでもないと思う。職場でもどっちかていうとうるさいほうだし。そのうるさいは別に説教くさいとかそういうんじゃなくて、単に騒いだりしてうるさい。
だとしたらこれって何なんだろうか?単にめんどくせーとかっていうそういう問題なんでしょうかね?んーでも文章書くほうがめんどくせーし…。やっぱ好きとか嫌いとか、得意とか不得意とかの問題なのか…。

ひとつ思った。
周りがこういう事を書いたりしないのは、きっとどこかしらで誰かと話をしたりしながら発散してるからわざわざ書く必要がないんじゃないかと。例えば、悩みとかを持ったときなんかは友達と電話とかで1時間くらい会話をして、相談すると同時に自分に言い聞かせているというか、なんとなく発散したりしてるんだと。
そんで、いざ書くときは会話では出来ないことを書く。
で、俺はというとその真逆なんだよな。どこかしらで物事を書きながら発散してるからわざわざ話す必要がないんだと。悩みとかを持ったときなんかは1時間くらいかけて文章を構築していきながら、自分に言い聞かせているというか、なんとなくの発散。
そんで、話すときは文章には出来ないことを話す。
どっちがいいとか、悪いとかはないんだけどね。
ただまぁ、話すってことは相手に何かしら反応を求めてる。ってことだよね。それに話せば何も返ってこないなんてことは稀だからわかりやすい。
書くってことは伝えるとか、それはそうなんだけど一方的に提示して反応はあまり求められない傾向にあるし、何も返ってこないなんてことが普通だし、行き着く先々で捉え方が屈折しやすい。そんで時間もかかるからまとめてしまえばまぁめんどくせー。
しかも会話ってのは相手がいる分、文章よりは得るものが多そう。
伝わったり考えたりする速度も違うよね。
話すことは瞬時だから、やべーとっさに言っちまった!ってことがほとんど起きる。書くことに関していえば、やべーとっさに書いちまった!なんてことはほとんど起きない。
重さの違いっていうんだろか?でも会話も重いときは重いし、文章も軽いときは軽いよな。あんまかんけーないか。で、どっちがイイの?って言ったらそれはそれでまた人それぞれなんだと思います。

君は云う。なんであなたは話さないんですか?なんであなたは書けるんですか?
俺は云う。なんであなたは書かないんですか?なんであなたは話せるんですか?

どっちも出来れば、素晴らしいんだけどね。
でもまぁ“書く”だけで納得できてるなら、それをわざわざ“見せる”必要はないと思うので、「私のことをもっと知って欲しいのよー」って自己提示なんだとも思います。俺はこれを否定しません。でも、核心やホントのトコロは“話す”時の為だけに取っておく。
てか良く考えれば、上手くまとめたつもりだけど、文章と会話ってそもそものジャンルが違うから俺が今日書いていることはかなり詭弁なんじゃないかと思い始めた。
しかもこれから話をつなげようと思うとそれはもう宇宙になっちゃうのでこの辺でやめときます。

うーん、結局のところ、どっちにしても俺は“ヴォイス”だけじゃ絶対に恋は出来ないタイプだな、と思った。あ、それと営業職もきっとできない。