くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

ピープルズドリーム。

なんだか激動の1週間だったので、
色々と書くことが多いです。

まあ「不謹慎的 発想」も含めて書きますので、
その辺はまあ、嫌いな人はスルーってことで。
あくまで個人的な話です。

震災当日、俺は寝てました。
さすがに揺れたのには気付いたんですが、ちょうど2週間くらいまえから家の外壁工事をやっていて、ただでさえ多少は揺れるので、全然気にせずに二度寝してました。

なんか俺は絶対に天災じゃ死なないっていう、かなり無理な信頼感があるっぽいです。
そんで夕方頃に起きて、早速ついったーを開いてみると、なんだかひでえことになっている。
そんな感じで事態を把握したわけなんですが、まあ実際にそのときに東京以南で起こっている事は、あんまり日常と変わりなかったんじゃないかなあって思います。

まあ今回ついったーの凄さに感服しました。
俺なんか率先的にTVで情報を得るタイプじゃなくて、仕事でヒマな時間にヤフーニュースなんかで情報を仕入れるタイプなんですが、かなり悲痛なリツイートがくるわくるわで、事態の深刻さを把握。
俺なんか一発目に「こしいてえ」とか書いたんですが、かなりの空気の読めなさに自己嫌悪に陥るほどでした。

俺が一番疑問なのは、ここぞとばかりの「愛国心」です。
なんつーか、まあ反論をたくさんくらうことを承知で書きますけど。
この間ニュージーランドでデカイ地震あって、まあ俺からしてみれば対岸の事故なので、「ニュージーが大変なことになってるなあ」って程度で、あまり支援とかする気なかったです。
実際に戦争が続く国も多くあるみたいで、まあそれも同じようなもんで、「戦争で大変なことになってるなあ」くらいしか思いません。
なんか、世界各国も日本に色々と支援してくれているみたいですけど、ニュージー地震の時も日本の企業は普通に支援をしているんで、向こうじゃ日本も協力とか書かれていたんでしょうし、まあほかの世界の人からみたら対岸の事故かもしれんです。
日本が大変なことになって、まあ支援とか義援といいますか、色々と活動している人多いみたいですけど、
まあ対岸とは云わないまでも、そこまで深刻な被害は起こってません。
電車が減るのは大変ですが。

そんなことで何が云いたいのかって云いますと、別にほっとけって云ってるわけじゃないです。

人は大事なものを失わないと、一生解ることはありませんねえ。
って事を云いたかっただけです。
あくまで被災地に関係者が一切いなかった人の視点として書いていますが。
世界各国で悲惨なことが起きても関係がねえのに、身近なヒトが何か不幸に見舞われればここぞとばかり反応する、その希薄さを云いたかっただけです。
忘れちゃいけないのは、ここで地震があろうとなかろうと、貧困も飢餓も犯罪も戦争も、それは毎日のようにあるんです。
本当は知っていたんでしょう?
見てないふりをしていただけでしょう?

なぜブランドモノの名前を知っていても、戦争が起きている国の名前はほとんどの人が知らないんでしょうか?
身近な事故を不用意に、そして過剰に心配するのなら、今まで希薄にした総てに関心を。
そして「関係ねえ」を決め込むんなら、身近だろうと関係者がいねえなら決め込め。
自分だけ平気でいいなら、「自分平気だったし大丈夫」を決め込め。
そう思ってしまったのです。
まあ自分で書いておきながら、これはかなり極端です。

今回は天災ですし、仮にも自分の住む国で起きていることですから。
それに、それが別に悪いことじゃないと思うんです。
実際にきっと俺だって、上からモノが落ちてきて頭に命中して失神でもしない限り、事態の深刻さをイマイチ理解できない人間なのですから。
関係ないことは関係ないし、関係あることは関係ある人間ですから。

でもまあさすがにあの悲壮なリツイートとか、記事といいますか、被災者の気持ちを思えば、気持ちが動かないわけではないので、励ましのツイートなんかもしたわけです。
自分が犠牲になったときに、誰も助けてくれないことを承知の上で。
ちなみに関係ないこと云いますと、火事場レイパーなる、まあ火事場に便乗して女性を襲ったり、支援金を騙って詐欺をするような連中は、とっとと天誅を受たほうが良いかと思います。
原発に突っ込んで冷却するボランティアに強制参加とか。
あれは女性じゃない俺でも赦せないもんです。

そういえば原発の影響で、福島県の熱帯魚とか海水魚とかがやべえらしいです。
それに関する記事なんかを見ていると、今は人命が最優先なので、魚のことなんか構ってられないそうです。

俺は人間の素晴らしさは良くわかりません。
厳密に云うと、人間"だけ"の素晴らしさは良くわからない。
別に動物愛護団体に入っているとかそういうわけじゃねえですが。

俺は基本的には、第六感とか宗教とか占星術とか運命とかそういう類のものは信じない人なんですけど、そういうことを考えると、これは何か、もっと深いものであって欲しいと、そう期待してしまわなくもないです。

なんというかまあ、とにかく被災者には当然のことながら冥福をお祈り致しますが、「者」だけではなくて、その岐路で死んでいった動物や植物なんかにも同時に冥福を祈るまでです。

結果的に、寄付しましょう、支援しましょうとか、全然悪いことじゃないと思います。
出来ることから少しずつ復興支援していくことは必要でしょう。
被災地に親戚とかいる人は、まだまだ油断できない状態でしょうし、気が気じゃないでしょう。
別にやれって云って周りたいんじゃなくて、ただ俺はそうすることにしましたってなだけの話なんですけど。
死んだものは戻らないですし。
それが人でもそれが魚でも。

よのなか、じぶんとかんけいのないひとがおおすぎる。
ほんとうにそんなことでいいのかな。
と今一度考えるべきなんじゃねえかと思いました。
さて、行動としては、色んな事を踏まえたうえで、募金くらいはしてみました。
ただその募金が直接的に何に使われるのかわかったもんじゃないですよね。
それでも、日本を救った気がした。
気がしただけでも十分。
ちなみにこんな俺には地震の時に無事を確認する連絡は一切きませんでしたっっ。
そして俺は、冥福を祈りながらも、死んでも死にきれなかった人がたくさんいるものだと思っています。

痛みを忘れるな。
痛みがなければ、
何も得られない。