くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

My Epitaph. #15

  • 3/19(Monday)

・仕事をしてきた。どうにもこうにもやる気が出ない。ご飯に悩んでいたら、君から「やさいをたべやさい」というメールが届いていたので、けっと思いながら野菜タンメンを食べた。

・僕の会社には、もう将来も現在も何もかも棄ててしまっているような年上の人がたくさんいる。そのように見えるだけであり、彼らからしてみたら僕も“棄ててしまっている人”の一員なのかもしれないが。どうやったらああいうふうになるんだろうということは、僕は知っている。それらは過去を聞いたとて、何一つわかるまい。感じ方。僕は僕の感じ方しか知らないし、誰かとそれを比較するつもりもさらさらない。つまり他人の過去や未来や哀しみや喜びを享受する事は絶対にしない。厳密に云うなれば、それは出来ないということになっている。せめて楽しい話を。僕が死に逝くまでに出会う人間など、そうそう多くはないのだろうから。おやすみなさい。

  • 3/20(Tuesday)

・仕事をしてきた。全然やる気が出ないので、途中で逃げるように帰ってきた。

・今まで紡いできたものに対して少し振り返っていた。僕は様々なものが嫌いになってしまったのだと悟った。どうしようもなく哀しい気持ちだった。

・僕はただインターネットに繋がないという努力だけをしている。テレビなんてもう5年くらいまともに見ていない。僕は時流に取り残されたくらげである。もしあくる朝、周りが騒がしくなり、「実は関東で致死量のセシウムが検出された」とかいって人々が西の方や海外に逃げたりしたとしても、僕には把握すらも出来ない。そして逃げ遅れた僕は「やっぱりちゃんと見ておけばよかった」なんて思いながら、それでもやっぱり「断固としてワシは此処から動かぬ」と思ったりしながら、苦しんで死ぬのが関の山さ。おやすみなさい。

  • 3/21(Wednesday)

・仕事をしてきた。奇妙なものを見た気がするが、気がしただけでやめておいた。

・今週は珍しく木金土、休みなのだ。天気予報では雨だと云っていた。だからなんだというのだろう。何故雨ばかりなのだろう。これからの気分が週末の気分を決めるので、絶対に上向きにさせようと思ってはいたものの、一向に無理だった。土曜日は友人の結婚式なのである。僕はまた弾きたくもない賛歌を弾く予定でございます。

・君は僕に毎日「おやすみなさい」を云うし、僕らのどちらかが死ぬまでそれが続けば良いと思う。それが哀しいことだと思うこと自体が狂気の沙汰である。そうそう、ついでに云っておくと絶望の形っていうのも絶対に似たりはしないのですよ。おやすみなさい。

  • 3/22(Thursday)

・エントリが落下された。相変わらず文章が稚拙で何を云っているのかよくわからないが、僕がこれから紡ぐであろうものの序章としては申し分ないと思えた。

・休みだった。夕方まで寝て、起きてまた寝て起きたら既に夜だった。「あなたはだれですか」という夢を見た。

・突然、蕎麦屋に行きたい衝動に駆られたので家を飛び出した。時刻は22時だった。当然そんな時間に営業している蕎麦屋など存在せず、僕は仕方なく赤い看板のファミリーレストランに飛び込んだ。ちくしょう、なにもかもちくしょう、と思った。

・帰宅してアラベスクを聴きながら心の平衡を保とうと努力してみた。しかし無理だった。僕の心は否応なく左右に揺れる忙しい球体だった。「そのままでいい」だと?万物が流転するこの世の中で「そのままでいい」ものなど何一つもない。下は上であり、最初は最後であり、終わりは始まりなのだ。現実とは上下に揺れ続ける海流であり、変化こそが唯一の定数なのだ。そしてそれは、この世ではなんだって可能なんだということの証しに思えた。

・そう考えながら、急に僕は何かを発見したつもりになっていた。偉大なる生命の隅に置き忘れた大事な何かを!いつだって発見というものはすばらしいものだった。世の中のいかなる暴動も嫌悪も美醜も価値観も凌駕した気持ちになった。

・宇宙のことを考えてみる。僕はもうそういうことを考えるのを長いことやめてしまった。他にいろいろと考えるべきことがあったからだ。長いこと退屈とは無縁だった。暇とも無縁だった気がする。物事を整理していかなくてはいけない。できるだけワードは多い方が良いだろう。