くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

本能っていったいなんだ、というお話。

ちょっと夜中に面白いことを考えてた。これは僕にとって面白いことであって、他の人にとって面白いかどうかはわからないけど、ガキんちょの頃から「いいことかんがえた!」っていうやつがいうことはだいたいいいことじゃないのと同じであんま面白くないかもしれない。

 

小学生の夏休みの日記みたいなもんです。生物学的本能はどこまであるのかって話について。こんなのgoogle大先生に聞けばすぐに頭の良さそうな髭面のおっさんとかが明確に難しい話書いてそうなのだけど、それを見るとせっかくの僕の妄想や空想が無駄になりそうだから見ないで好き放題書いてみる。

 

実際に経験をしたことがないからよくわからないけど、クマさんは背中を見せると追ってくる習性があるとよく云う。これはたぶん生物学的本能ってやつで、子クマのころからおとうさんクマさんやおかあさんクマさんに「奴が背中を見せたら追いかけろ」なんてたぶん教わってない。クマ語とかあんのかもしんないからなんともいえないけど、それ云ったらきりないから生物学的本能ってやつにしとく。

 

あとトカゲさんが尻尾切るとかだんご虫さんが丸くなるとか、そういうのはいろいろある。鳩の迷信行動とかああいうのとかも好きだけど語ると長くなるからここじゃ省く。

 

じゃあ人間ってやつの生物学的本能はどっからどこまでなのか。ちょっと極端な話になるけど、たとえば0歳の女の子(男でもいい)を20歳まで外に一切出さないとする。そんで、その女の子に毎日人間が空を飛ぶ映画とかCGとか見せるとする。「お前は空を飛べないから外には出さない」とか毎日教えるとする。

 

まあほとんどの確率で女の子は空を飛べないと思うんだけど、じゃあ「外」の世界を一切知らない人ってのはどこまでこの「本当は飛べない」ってことを理解するのだろう。大の大人でも簡単に洗脳されるからこそ、小さな子なんてすぐに洗脳できる気がする。

 

小説だったか映画だったか他の何かだったか忘れたけど「高いところから落ちると死ぬ」ってことは、どうやら教えたり経験したりしないとわからないことらしい。それこそ20年間一度も外に出さなかった人間がいきなり高いところに行くと、普通に飛び降りるらしい。要は「高いところから落ちると死ぬ」ってやつは本能ではないみたいだ。

だけど、僕たちはというと、バンジージャンプとか平気で出来る人もいるけど、命綱なしでグランドキャニオン綱渡りは出来ない人が多いと思う。高い場所怖い。でもなんで怖いんだ高い場所。

 

これは死ぬってやつも一緒で、「みんな」が共有しているものがそのまま伝染しているだけに過ぎないと思う。死んで戻ってくるやつはいないけど、死後の世界ってやつは物凄く良いものかもしれない。良いものだと定義しちゃうと生きてる人みんな死ぬからそれはそれでどうかとも思うが。この説については否定できる人ってのは誰もいないと思う。生きてる人はみんな死んでない人なので。

 

じゃあ「死ぬの怖い」はどこから来るのって話。こう思うことは本能なのだろうか。それとも、本能ではないのだろうか。そりゃ、ビルから飛び降りてぺちゃんこになる映像や漫画とか小説とか山ほどある。そういうのを見た誰かがほかの誰かに「怖い」を伝染させて、だんだんと怖くなってきたんじゃないか。そうだとしたら、「死ぬの怖い」は本能じゃなくて、ただの洗脳なんじゃないか。

いや、ゴキブリだってつぶそうとしたら逃げるから、「死ぬの怖い」は本能なのかもしれない。だけど本能だと云い切ってしまうからには、自殺って行動を完全否定することになる。要は、自ら火に飛び込むゴキブリはいないよねって話。だけど人は、やっぱり自殺とかする人もいる。だとしたら、やっぱりただの洗脳なんじゃないか。

 

じゃあ何の教義も理性もない人間だけで、残されたらどうなるだろう。もしかしたらネアンデルタール人北京原人の頃より、今の人の本能ってやつも変化しているのかもしれない。これから先、人体実験なんて危ないこと出来る人もいないだろう。「現代人」の本能はいったいどこにあるのか。それを明確に答えられる人はいるのか。

 

話が永遠に続きそうなので、ここで一度ピリオドを打っておく。

 

今日は、「本能的な行動」と良く云うけれど、いったい何が「本能」なんだってことを考えてただけ。たとえば目の前にメシあれば食うとか、目の前に女いればセックスするかっていうと、ほとんどの人がそうじゃないと思う。就職の面接中に弁当食う奴もいなければ、電車の中でいきなりセックスする人もいないからだ。命が等価になってはじめてやるんだろうな。「~ければ殺す」と云われない限り。いや、でもこれだと「死ぬの怖い」がある前提の話になってくる。そうなると死生観でさえ洗脳が上回るということになる。凄い話だ。

 

んで、ここまで考えた挙句の結論はたぶん本能ってやつは無いと僕は思うってこと。あったらあったでもっと人生シンプルなんだろうなって思う。

 

なんか本能の部分までも「人それぞれ」とかいうクソワードで完結されるのなら、種別とかも別にしちゃったほうがいいんじゃないのって思う。ほんと、見た目がある程度似てるだけなんだろうな。

 

こういうくだらないこと書いてからgoogleで検索したら一瞬でこの誇大妄想が吹き飛びそうだから、勝手にそう思っておくことにする。

 

人と動物は違うと云える点があるとしたら、「信じることが出来る、“選択肢”ってやつを持つこと」すなわち「可能性を感じることが出来る」ということ。少なくとも頭の中では「10年間、手を上下に動かせば飛ぶことが出来る」と“思い込む”ことはできる。思い込んだ末に、空を飛んでしまうような人が天才なのだけど。

 

「みんなはxxっていうけれど、ほんとうはxxなんじゃないか」と概念を片っ端からぶっ壊したが故に、とんでもなく生きづらくなった。その代わりに得るものもたくさんある。

 

書きたい放題というか思いつく限り書いてみた。というか、ただ書いただけ。推敲せずにまた殻に戻る。