くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

そらとぶ○○。

僕いろいろと辛いんですねえ。でも辛いのは僕だけじゃないような気もするんですねえ。だって僕から見たらみんな辛いんですもの。だから僕が辛いのはどうでもいいことなんです。目の前の“君”ってやつが辛いのも当たり前なんです。だからどうでもいいことなんです。そんなに気にしていませんし、僕自身、自分がどう考えているのか、何を思っているのか、あまり定かじゃないのでほんとどうでもいいです。こういうのを僕語でやる気ないと云います。日本語では眠いと云います。

 

やる気はないのですが、こうしてやる気を出して何か書きにきたんです。誉めてください。1年に1回も誉められることなんてないんで、たまには良いと思います。よくやったねと云ってください。くそくらえと僕は返します。これで女は泣きます。いきなり女がでてきたので僕もびっくりです。

 

僕は小さいです。器が小さいとかちんちんが小さいとかそういうのもあるんですが、それは今はどうでもいいです。僕が云いたいのは、世界にとって、僕の存在は小さいということです。

 

極小です。ミクロより小さいです。だけどいろんな人は自分は大きいものとして捉えています。だから喜んだり哀しんだりします。喜んだり哀しんだりすることに何も意味はないと僕は思っているんですが、それでも泣いたり笑ったりするんです。これは不思議です。自分が必要なものとして自分が何か成し遂げると信じて止みません。だから、いろんなことに動揺します。そもそも自分が生きてるのも死んでるのも大勢にとっては別にどうだっていいことなのに。

 

でもやっぱり自分が辛かったり悲しかったりしたら、叫ぶんだと思います。唄ったり酒を飲んだりする人もいるでしょう。恋人や友達にグチるも良し、憂さ晴らしに風俗に行くも良し。

 

目の前にいるんですよ。辛い人も悲しい人も、今、あなたと話している、その人が“それ”です。

 

僕はそれをわかってて、なんでその人を少しでも楽にさせて、楽しくさせて、笑わせてあげることができない。もしくはそれができなかったのか。僕はそういうことを考えているんです。今考えていることなので、明日もそう考えているかというと話は別です。